「きもちわるい国」、日本。

デンマークに来て、早1か月。

こちらでの生活にもだいぶ慣れて、行動範囲もぐっと広がりました。

 

昨日はデンマーク人向けの日本語勉強会に参加したのですが、そこで出会ったに人たちに日本についてどう思うか聞いたところ、ある男性から思いがけない答えが。

 

「日本は、きもちわるいと思う。」

※彼は日本語が流暢なため、そのままお伝えしております。

 

あまりの衝撃に2度聞き返した私。

これまで出会った外国人は、「クリーン」、「食べ物が美味しい」、「漫画、アニメがすごい」などといったポジティブなイメージが多く、唯一のネガティブワードが「英語が話せない」ということでした。きもちわるいって一体なんだ?!

 

でも、そこには彼なりの深い洞察があったのでした。

 

彼はこう続けました。

『日本では多くの人が常に1つの確かな答えがあると信じ込んでいて、そこから逸れることが悪いことのように思わされている気がするんだ。教育現場でも、子どもたちはみんな「正しい答え」を必死に暗記しているように見える。そしていかに「正しい答え」を知っているかが評価につながるんだ』、と。

 

でも数学科出身の彼は、そのような日本社会に対して強い違和感を覚えたそうです。

『数学の世界では、公理はあったとしても、誰もが納得するような1つの答えを見つけるのはとても難しいんだ。だからこそ、それを追求することに意味がある。』

 

 

私も日本社会のそういう側面にずっと疑問を持っていたので、よく日本を見ているなあと関心しました。良し悪しでは測れないものだと思うけれど、少なくとも国際社会では共感を得にくいアルゴリズムで動いているのが日本社会。

 

別の日のことですが、以前ある友達が「うちの会社は個性を大事にしているから…」と言ったときも、ちょっとひっかかったんですよね。それはどの程度の個性を意味するんだろう、と。日本でよくある輪を乱さない範囲での個性なのか、新たな取り組みに向けてぶつかり合うほどの強い個性を求めているのか、それとも…。

 

個性を大事にってとても耳障りのいい言葉ですが、そこにどの程度の意味が含まれているのかは留意した方がいいかもしれません。

 

私自身、人と協調して生きることは大事にしているつもりだし、多くの日本人が持つ、相手を慮る姿勢には世界に誇れるものがあるとも思う。でも、他者を尊重し、協力しながら生きるのと、同じ価値観をベースに他者に同調して生きるのとは全く違う。

 

日本人は~とか、アメリカ人だから~とか、そういう大きな言葉で語るのはあまり好きではないけれど、ある社会に属して生きている限り多少なりとも影響されている部分はあるはず。それをどう受け止めて自分の中に落とし込んでいくかは別の話だと思うし、それこそ「個性」を大切にして相手と向き合いたいなと思ったのでした。